鍛治舎監督、母校の県立岐阜商業の監督就任へ!秀岳館を指揮

鍛治舎監督、母校の県立岐阜商業の監督就任へ!秀岳館を指揮

秀岳館を指揮した鍛冶舎監督が母校である県立岐阜商業の監督に就任するとスポーツ報知が報じた。岐阜県の高校野球がさらに熱くなる!

県岐阜商監督に秀岳館を指揮した鍛治舎巧氏就任へ

2017年12月25日5時0分
スポーツ報知

今夏まで秀岳館(熊本)の監督を務めた鍛治舎巧氏(66)が、母校の県岐阜商監督に就任することが24日、分かった。

複数の関係者が明らかにした。来年2月1日付で就任する見通しで、第100回を迎える来夏の甲子園記念大会出場を目指すことになる。

同氏は、14年4月から秀岳館の監督に就任。九鬼隆平(現ソフトバンク)を育て、今春まで3季連続4強と手腕を発揮し、今夏甲子園開会式直前に退任を表明。

だが、2回戦での敗退後には「秀岳館での監督生活は終わりますけれど、引退は決まっていません」と近い将来での現場復帰を示唆していた。

県岐阜商は春夏各28度、史上3位の通算56度の甲子園出場。春3度、夏1度の全国制覇も達成し、高木守道(元中日監督)ら多くのプロ野球選手を輩出してきた名門。

13、15年センバツでは共に8強入りしたが、夏は12年が最後。今夏は、岐阜大会3回戦でコールド負けを喫し、元監督の鍵谷英一郎部長を昇格させたばかりだった。

鍛治舎氏は周辺に「最後は母校のために命を燃やしたい。最近は成績を残せていないし、何とかしたいという思いは強く持っている」などと話し、母校再建に強い意欲を見せているという。


「スポンサーリンク」

◆近年の岐阜代表校

東邦(愛知)を率いた阪口慶三監督が、05年に大垣日大監督に就任。甲子園初出場した07年センバツで準V、夏も8強入り。68校が参加した今夏の岐阜大会も制するなど春夏7度の甲子園出場。今センバツでは多治見が21世紀枠で出場も、報徳学園(兵庫)に0―21で大敗。ほかに中京(現中京学院大中京)、岐阜城北、関商工、土岐商などが甲子園出場を経験している。

◆鍛治舎 巧(かじしゃ・たくみ)

1951年5月2日、岐阜県生まれ。66歳。県岐阜商のエースとして69年センバツ8強。早大から松下電器で外野手、監督。75年阪神ドラフト2位指名を拒否。パナソニック専務を務めながら、オール枚方ボーイズ監督として、13度の日本一。NHKの高校野球中継で長年、解説者を務めた。14年4月から今夏まで秀岳館(熊本)の監督。


「スポンサーリンク」

鍛冶舎監督のプロフィール(Wikipediaから)

岐阜県立岐阜商業高等学校では3年生の時、エース、四番打者として1969年の選抜大会に出場。2回戦(初戦)で比叡山高の間柴茂有投手に投げ勝ち、大会通算100号本塁打を放つ。準々決勝では博多工の岩崎清隆投手に抑えられ、3-9で敗退。同年夏は中堅手として三岐大会決勝に進出するが、上西博昭投手(中京大)を擁する三重高に敗退、甲子園出場を逸する。

その後、早稲田大学にスポーツ枠で進学。1年春からベンチ入り、5季連続打率3割以上を記録し中心選手として活躍。東京六大学リーグでは1年下のエース矢野暢生(日本生命)らを擁し、9季ぶりとなる1973年春季リーグ戦の優勝に貢献した。直後の全日本大学野球選手権大会では2回戦で愛知学院大に敗れる。同年の第2回日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、四番打者を務めている。リーグ通算84試合出場、280打数87安打、打率.311、6本塁打、60打点。ベストナイン(外野手)2回受賞。大学同期に楠城徹捕手、鈴木治彦一塁手がいた。

早大卒業後は松下電器産業(現・パナソニック)に入社。1974年の都市対抗では新日鉄堺の補強選手としてチームの準決勝進出に貢献。エース山口高志を擁し、同年の第1回社会人野球日本選手権大会に出場するが2回戦(初戦)で敗退。2年目の1975年にも都市対抗に出場。同年秋のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受けるも入団を拒否、その後も社会人野球で活躍する。1981年に現役を引退。

引退後は1987年に松下電器野球部の監督に就任(1991年まで)。この他にも同部長やアマチュア日本代表のコーチも歴任した。また社業にも専念し中村邦夫社長時代に労政部長を歴任。1万人のリストラといわれる実務を担当した。その後は広報部長に転じて広報宣伝担当の専務の座に就くまで出世した。会社に批判的な記事が出るとそのメディアに押しかけて行き圧力をかけて担当記者を交代させる剛腕なところもあったようである。

津賀一宏社長就任後の役員体制見直しに伴い、中村邦夫社長時代から務めたブランドコミュニケーション本部長・宣伝担当を2013年10月1日付で更迭され、専務役員待遇のまま企業スポーツ推進担当へと異動した。パナソニックと関係の深いガンバ大阪の取締役を務めていた時期もある。

少年野球では大阪府枚方市を本拠とするボーイズリーグのチーム「オール枚方ボーイズ」の監督を務め、2002年、2008年、2010年と全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで3度優勝に導いている。2014年3月31日付でパナソニック専務役員を退任し、同年4月より熊本県の秀岳館高等学校野球部監督に就任。同時に、系列校の中九州短期大学副学長にも就いている。2年目の2015年の秋季九州大会で優勝し第46回明治神宮野球大会に出場。翌2016年の第88回選抜高等学校野球大会で準決勝に進出。夏の第98回全国高等学校野球選手権大会でも準決勝に進出した。かつて指導した「オール枚方ボーイズ」出身者が多かったが、それらの選手を指導力の高さで主力選手に成長させ、U-18日本代表選手を2名(九鬼隆平、松尾大河)輩出した。2016年の秋季九州大会では準決勝で福岡大大濠に敗れたが翌年の第88回選抜高等学校野球大会出場校に選出された。2017年2月に学校側の方針で監督交代を模索している事が明らかになるが、OB会や保護者から続投の嘆願書が集められ、結局学校側も方針を変えて同年3月に2019年春までの続投要請を行ない、これを受諾している。選抜大会では大阪桐蔭に1 – 2で敗れたが、三季連続でベスト4に進出した。

2017年7月、選手権熊本大会準々決勝で勝利後、突発性不整脈と診断され1週間ほど入院。準決勝・決勝は、責任教師が代行監督を務めた。7月27日に退院し、28日から練習に合流。8月6日、本戦開会式リハーサル前の監督対談後、今季限りで退任することを表明した。退任の理由は体調面の不安とは関係なく、「進退は自分で決めると言ったが、いい時期かなと思った。選手も自分たちでできるようになり、指導者も育ってきた」と説明した。選手権大会は2回戦で広陵高校に敗れたが、U-18日本代表に川端健斗と田浦文丸の投手二名が選ばれた。

【スポンサードリンク】