【不祥事】高岡向陵野球部、半年間の対外試合禁止。夏大会以降、部員による暴行

【不祥事】高岡向陵野球部、半年間の対外試合禁止。夏大会以降、部員による暴行

高岡向陵高校の野球部が半年間の対外試合禁止処分に。今年の夏の大会以降、練習後に一部の部員の間で殴ったり蹴ったりする、暴力行為が5件あった。

“新湊旋風”として甲子園を沸かせ、新湊高校野球部を県勢初の4強入りに導いた檜物政義監督が11月に高岡向陵高校硬式野球部の監督に就任したばかり。檜物政義監督にっとは、厳しい船出となった。

野球部部員が暴力行為 高岡向陵 半年間の対外試合禁止/富山

12/20(水) 15:59配信
チューリップテレビ

高岡向陵高校野球部で部員による暴力行為があったことがわかりました。日本学生野球協会は高岡向陵高校を半年間の対外試合禁止処分としました。

高岡向陵高校によりますと、今年の夏の大会以降、練習後に一部の部員の間で殴ったり蹴ったりする、暴力行為が5件あったということです。
暴力を受けた生徒や保護者が学校に報告したことで事態が発覚しました。
5件の暴力行為はすべて1対1のケースでいずれも部員にけがはなく、当時現場には監督や顧問の教諭はいなかったということです。
報告を受けた日本学生野球協会は、高岡向陵高校を11月20日から半年間の対外試合禁止処分としました。
これにより来年の春の大会は出場を辞退することになります。
高岡向陵高校の大浦由吉秀(おおうらゆきひで)校長は、「2度とこのようなことがないように生徒への指導を徹底していきたい」話しました。

甲子園で再び“旋風”を 高岡向陵高 野球部監督 檜物政義さん

2017年12月4日
中日新聞

“新湊旋風”として一九八六年春の甲子園を沸かせ、新湊高校野球部を県勢初の4強入りに導いた檜物政義監督(65)が十一月、高岡向陵高校硬式野球部の監督に就任した。高校野球の監督は富山国際大付属高校を指導した二〇〇〇年以来、十七年ぶり。着任から一カ月が経ち、意気込みや手応えを聞いた。(山本拓海)

-高校野球へ戻ってきた。

射水ボーイズを一五年から指導していて、監督をするのは中学の硬式野球が最後だと思っていた。高校側から七月に監督就任の話があり「私を覚えてくれている学校があった」とうれしさもあったが、六十五歳という年齢で体力や気力に不安を感じて即答はできなかった。引き受けると決めた最大の理由は、監督として指導もした息子たちが「父さんにはやっぱり高校野球が似合う」と後押ししてくれたから。射水ボーイズは若くて優秀な指導者がそろっていて、保護者の理解も得られた。

-高校野球の良さは。

試合が選手の技、スピード、パワーだけでなく精神面に左右され「高校野球」という一つのスポーツだと思っている。自分の中にある弱気や諦めといった見えない敵が本当の敵で、試合で勝つには己に克(か)つ「克己(こっき)の精神」が大切。そう実感させてくれたのは選手たちだった。一九八〇年に甲子園へ初出場した時はチームが実力以上の力を発揮して高岡商、富山商の「両商」を破り、新湊旋風の時は全国の強豪校に三回も勝った。自分に克つことで実力以上の相手にも勝てるからこそ、高校野球では常に全国を目指してきた。

-着任して一カ月。

手応えはある。部員は多いとは言えないが、三、四番打者を中心に良い選手がそろっていて教えがいがある。まずは練習試合でも勝ちにこだわって、選手に自信を付けさせてやりたい。諦めないことの大切さを徐々に教えながら、理論的な指導をしていく。目の前の目標は、来年の夏に校歌を一回以上歌うこと。

-富山の高校野球にはどんな影響を。

県内の若い監督に私の経験を伝えていきたい。全国大会で県の最高記録は新湊旋風の4強。この記録は誰かが破らなければならないし、破ってほしいと思う。全国では打てなければ勝てないので、甲子園で打てる選手を育てるのが最後の仕事。“高岡向陵旋風”を起こすのが夢ですね。

ひもの・まさよし
1952年、射水市(旧新湊市)生まれ。新湊高校野球部で主将を務め、引退後は監督代行に就任。71年の高校卒業と同時に監督となり、退任した94年までに三度の全国大会へ導いた。富山国際大付属高校硬式野球部、射水市の硬式少年野球チーム「射水ボーイズ」の監督を経て現職。

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