【特集ページ】大阪桐蔭 柿木蓮(日本ハム)とは。根尾とのライバル争い、そして仙台育英戦の悔しさをバネに

柿木蓮、大特集

エース柿木蓮(大阪桐蔭)は、日本ハムがドラフト5位で指名されプロ野球人生を歩みだす。契約金3500万円、年俸520万円で契約。背番号は37に決定した。

夏の甲子園決勝で対戦した金足農業・吉田輝星とはチームメイトに。北の大地から佐賀出身の男がプロの世界で躍動する。

彼の人となりを理解する際、大阪桐蔭で3年間を共にした「西谷監督が語った根尾の思い出」をご一読していただきたい。以下、インタビュー記事を引用・掲載する。

西谷監督が語る「柿木蓮」とは

デイリースポーツが19年1月、大阪桐蔭の西谷監督のインタビュー記事を掲載した。プロ入りする柿木蓮との思い出を語っている(引用・抜粋)。

 -中学時代の柿木の印象は。

 「上半身投げでしたが、ボールに圧があって。スピードボールは魅力に感じました。何よりも『とにかく大阪桐蔭でやりたい。とにかくプロに行きたい』と、その時に明確に言っていました。志の高い子と一緒にやりたいなと思いましたね」

 -佐賀から出て来た時の印象?

 「ガキ大将的な性格で、やんちゃなのかなと思うけど、すごく優しくて。ああ見えて気配りができる子です。最初に会った時の印象とは違いましたね」

 -高校での成長は。

 「3年間でこういう風にしたいな、という絵を描いたなら、そういう感じにいきました。投手で言うと、横川、根尾がライバルでしたが、最後の根尾に対するライバル心はすごかったですね。根尾は俗に言う二刀流でしたし、自分は投手だけで負けられない思いはあったと思います。僕も『野手もやってる選手に負けんのか』って言って根尾で釣って。そうすると、がーっと行くので」

 -柿木への叱咤激励は他の選手とは違っていたように感じる。

 「いやー、厳しくやりましたよ(笑)。彼はハートの強さがありますし、褒めたことはないですね。何も教えないので、『自分は何も見てもらえない』と思っていると思います。(3年時の)センバツ後に『自分は投げられなかった』みたいなことを言っていたので、『そら根尾やろう。このままやったら、夏は背番号1は根尾でいくよ』と話しました。でも、しっかりしているし、向上心もある子なので。センバツの後(の春季大阪大会)も、まさかメンバーも外されるとは、思ってなかったでしょうし。1からやろうとしたんですが、あれが結果的によかったと思います」

 -思い出は。

 「仙台育英戦(※)ですね。僕もまさか柿木が最後まで投げるとは思っていませんでした。五回まで行ってくれたら御の字だったのが、五回どころか代える場面がなかったので。最後は酷な場面でしたし、あそこで負けたことは痛かったですけど、柿木と中川は勉強になったと思います。柿木はあれからエースとしての自覚が出たし、あの試合があったから(今がある)ということだと思います」

 -3年夏の甲子園決勝前は、西谷監督に先発を直訴した。

 「あれはああやって言ったら、投げさせてもらえるという受け売りでしょう(笑)。たまにいますよ。でも、『それは俺が決める』って言いますけど(笑)。決勝は根尾を(先発で)投げさせるつもりだったんですが、準々決勝の浦和学院戦で、マメがつぶれて。本当は準決勝の先発は柿木、決勝の先発は根尾で、決勝の最後は柿木と思っていました」

 -プロでの期待は。

 「先発もできるし、リリーフとしても魅力的だと思います。ゲームを作る能力がありますし、球も強いですから。リリーフなら(OBの)オリックスの沢田みたいにグッといくタイプになれると思いますよ」

 ※…17年夏の甲子園3回戦。大阪桐蔭は仙台育英と対戦し、先発・柿木が九回まで1点リードを守ったが、一塁・中川がベースを踏み損ねるなど不運もあり、逆転サヨナラ負けを喫した。


「スポンサーリンク」

日本ハム新入団選手の背番号一覧

18 吉田輝星
24 野村佑希 
13 生田目翼
66 万波中正
37 柿木蓮
64 田宮裕涼
40 福田俊
144 海老原一佳

入寮時に持ち込んだ秘密兵器

2019、いよいよプロ野球人生を歩みだす。

柿木は、入寮にあたり、秘密兵器を持ち込んだ。朝が苦手な柿木。「よく寝坊して5厘刈りにしてました。朝のご飯に遅れたり、当番に遅れたりもあった。起きられるんですけど、二度寝してしまうのでそれは気をつけたい」と苦笑い。入寮にあたり一番うるさいめざまし時計を購入して持ち込んだ。甲子園期間中はチームメートに自室の鍵を渡して、起こしてもらっていたこともあるという。

また、西谷浩一監督から3つの約束を書いてもらい持参。「己に勝つ」、「親孝行をする」、「夢を持ち続ける」。「自分が迷ったとき、分岐点が来たときに見返して、正しい方向を選べるように大事にしたい」と語った。

「スポンサーリンク」

契約金3500万、年俸520万円で仮契約

大阪桐蔭・柿木蓮が11月10日、契約金3500万円、年俸520万円で仮契約した。

「また気持ちが高まった。わくわくしているし、やってやろうと思う。(球団からは)『2月(のキャンプ)に合わせる気持ちで』と言われた。そのつもりで1年目から力を発揮出来るように、この期間を大切にしたいなと思います」

「スポンサーリンク」

日ハムからドラフト指名あいさつ

10月30日、日ハムから指名あいさつを受けた柿木は

「(大阪桐蔭で)エースをやらせてもらって、大事な試合を任せられる投手は監督や選手から信頼される。そうなると自然とチームの柱に近づいていける」とコメント。

「誰にも負けたくない。(大阪桐蔭の)他の3人には、絶対に負けたくない」と意気込んだ。

色紙に、プロでの目標「信頼される投手」と記した。

<日本ハム>ドラフト結果一覧
◆支配下
1位 吉田 輝星(金足農高)投手
2位 野村 佑希(花咲徳栄高)外野手
3位 生田目 翼(日本通運)投手
4位 万波 中正(横浜高)外野手
5位 柿木 蓮(大阪桐蔭高)投手
6位 田宮 裕涼(成田高)捕手
7位 福田 俊(星槎道都大)投手
以降 選択終了
◆育成
1位 海老原 一佳(富山GRNサンダーバーズ)外野手

「スポンサーリンク」

ドラフト会議でのコメント

日本ハムから5位指名された大阪桐蔭の柿木蓮。

「順位はあまり気にしてないつもりですが、『嬉しいか悔しくないか』と言われたら悔しさが強い。それを逆に原動力にして入って1年目からでも自分がバンバン投げ込んでいけるように、このシーズンを大切にしたい」

「プロの世界でも日本一に貢献できるように頑張ります」

目標とする投手には楽天・則本を挙げた。

「気持ちを出して打者に向かっていくところを出していけたら」

「スポンサーリンク」

<以下>柿木蓮の大阪桐蔭時代特集

夏の甲子園、決勝戦の前夜。大阪桐蔭・柿木蓮は、西谷浩一監督の宿舎の部屋を訪れ、「決勝も投げさせてください」と志願した。

準決勝の済美戦で155球を投げ、2失点完投勝利したその夜のことだった。

「大事な試合はずっと根尾だった。エースとして自分が投げたかった。」

この夏にかける想いは人一倍だった。

2017年の年末、親戚が集まった帰省時に「蓮 兄ちゃんの野球を見たい」という子どもたちが選んだ映像は、あの仙台育英戦だった。「内容は分かってなかったんでしょうね」と苦笑いの柿木をよそに子どもたちは「すげー」と声を上げた。

「あの悔しさは忘れたことはありません」

「スポンサーリンク」

名前の読み方は「かきぎ れん」

佐賀県多久市出身で、チーム唯一の九州男児だ。佐賀東松ボーイズ時代(多久市立中央中)は4度の全国大会出場。

入学当初は日々の練習から大きな声を出して目立つことを意識。2年春のセンバツでベンチ入り。

最速は151キロ(夏の甲子園・沖学園戦で自己最速を更新)。

侍ジャパン高校日本代表U18。ドラフト候補。

「スポンサーリンク」

あの夏、仙台育英戦で先発した柿木蓮

17年夏の甲子園。2年生の柿木蓮は、仙台育英戦の試合直前に先発登板を告げられた。序盤から得意の140キロ台の速球がさえわたる。

ベンチに戻るたびに、3年生のエース徳山壮磨(現早稲田大学)から「腕がちゃんと振れていない」「体が突っ込んで投球姿勢が崩れている」とアドバイスを受け、修正を繰り返した。

徳山は最終回の9回、柿木をマウンドに送り出すとき、「自分が後ろにいるから、思い切って行ってこい」と声をかけた。

その後、球史に残ることが起きた。中川卓也がベースを踏めず、柿木はサヨナラ打を打たれチームは敗れた。

試合終了後、徳山は柿木に「この悔しさを忘れず、お前がエースとして引っ張っていけ」と、背番号1を託した。

捕手で当時の主将・福井章吾は「投球内容は100点」と語った。

徳山は「試合で投げられなかったのは残念だったが、柿木の成長を見られたので良かった」と涙した。

柿木は甲子園の土は持ち帰らなかった。

「絶対に戻ってくる。3年生の分まで春夏連覇して恩返ししたい」と決意。徳山に対しては「感謝することしかありません。3年生と野球ができないと思うと悔しいです」と語り、止まらない涙に何度も天井を見上げながら取材に応じた。

試合後、柿木蓮は朝日新聞を通じてコメントを出した。

「九回に打たれた時、自分の弱い所が出てしまったと思った。苦しくなったらあの瞬間を思い出して練習する。大好きな3年生。お疲れさま。ありがとう。」

「スポンサーリンク」

春の選抜甲子園・決勝戦は根尾昂がマウンドへ

春のセンバツ甲子園。智辯和歌山との決勝戦、最終回ツーアウト。マウンドにあがった根尾昂が140球目を投げると、ゴロが一塁方向に転がった。根尾自身がベースカバーに入り、トスを受け取ってゲームセット。センバツ連覇、2年連続の優勝投手となった。

柿木は、ベンチから根尾の投球を見て、「ピンチでも落ち着いて堂々と投げていた」と感心した。だが、決勝の舞台で自分が投げる場面がなかったのは悔しかった。

「何で自分が最後にここにおられへんかったんやろ…。」

選抜連覇の偉業を達成した歓喜の輪に飛び込むも、心中は複雑だったという。

試合後、「今のエースナンバーはたまたま付けているだけだと思い知らされた。ピンチで『柿木しかいない』と言われる本物のエースになって、夏にまた帰ってくる。」とコメントした。

「スポンサーリンク」

春の大阪大会、ベンチ入りを外れる

選抜後、春の大阪大会では、右膝を故障していた藤原恭大とともに柿木蓮はベンチ入りメンバーから外れた。

西谷監督は「新しい血が必要なので大幅に入れ替えました」と説明。柿木についてが「もうちょっと土台を作って走り込みを中心にさせようと」と説明した。

悔しかったという。表舞台から離れ、下半身強化のための走り込みなど基礎練習に没頭。この間にフォームを改造した。軸足の使い方を修正て、低めに強い直球を投げられるよう作り直した。

6月下旬、昨年エース・徳山壮磨(早稲田)が激励に訪れた。背番号1を継承した柿木に「お前が引っ張れ。最後なんだから、考えすぎずに思いっきりやれ」と声をかけられた。

「徳山さんは憧れであり、ライバル。甲子園が終わったら『しっかり投げました』と胸を張っていいたいです」と語った。

「スポンサーリンク」

夏の大阪大会、背番号1を背負う

夏の背番号「1」は、柿木が背負った。センバツでも「1」を背負ったが、優勝投手は根尾昂だった。

西谷監督は「根尾という選択肢もありましたが、期待を込めて柿木に1を渡しました」と説明した。

北大阪大会の決勝戦のマウンドには、柿木蓮がいた。試合後、柿木を先発に起用したことについて西谷監督は

「誰がエースということではなく、投げた者がエースなんですけど、やっぱり柿木に背番号1番を渡しているので、最後は柿木に投げきって欲しいなという気持ちはどこかに持っていました。」

柿木は「西谷先生からは“野球は体じゃなくて体を動かす心だ”と言われています。そういう意味では普段からの取り組みや姿勢は大事。経験があるから自分が有利とか、そんなことよりその状況で自分は何ができるか。何をしてくればどうできるか。それを考えながら投げていきたいと思います」と語る。

「スポンサーリンク」

夏の甲子園優勝投手、背番号1のエース柿木蓮

柿木蓮の父は、胴上げ投手となった息子の姿に「去年の悔しい思いを胸に厳しい練習に耐えて、ここまでよく頑張ったと思います」と涙を浮かべながら見つめていた。

中3のとき、大阪桐蔭から勧誘を受け、進学するか迷っていたところを父が背中を押したという。

柿木蓮は仲間と抱き合った。全国制覇を果たしたその瞬間、輪の中心にいたのは大阪桐蔭のエースだった。

嬉し涙が溢れた。

試合後、投手陣は抱き合った。

左腕・横川と森本がエース柿木蓮の肩を揉んだ。最後、横川凱が柿木を抱きしめた。

注目され続けた投手陣、そしてエース争い。良きライバルとして高めあい、支え合う。最高の仲間と互いに感じあっている、そんな光景だった。

柿木は「やっと目標が達成できました。エースとしてやってきたことは、間違いなかったです。」

大阪桐蔭で背番号1を背負ったエースの言葉は重かった。

「スポンサーリンク」

捕手・小泉が語る柿木蓮の投球・性格

大阪桐蔭・小泉捕手

もともと繊細な性格である柿木は、細かい部分を気にするタイプ。抜けたらどうしようとか当てたらイヤだという不安があるのか、こちらが出したサインには頷いても、投げ終えて少し苦い表情を見せる時がある。練習でもそう。柿木はその日の調子によってピッチングの流れを変えます」 

「スポンサーリンク」

柿木蓮のプロフィール・経歴

柿木蓮(かきぎ れん)
投手 右投右打
2000年6月25日生まれ
181cm /85kg・A型
最高最速 148km
佐賀東松ボーイズ
世界少年野球大会日本代表
大阪府選抜(日台国際親善野球試合)
BFA U−18アジア選手権日本代表
好きな球団はソフトバンク、選手は則本昂大

スポンサー リンク