【高校野球】みやぞん、荒川商業・野球部のエースで4番。国士舘に敗れた夏

【高校野球】みやぞん、荒川商業・野球部のエースで4番。国士舘に敗れた夏

お笑い芸人のみやぞん(本名・宮園大耕(みやぞのだいこう))は、東京の荒川商業・野球部のエースで4番だった。

当初は、高校入学時にテニスで推薦をもらっていたが、「テニスコートに転がってきた野球のボールを投げ返したら、当時の荒川商の監督の目に留まった」ことから、野球部に入学したという。

朝日新聞のインタビューから

https://sportsbull.jp/p/344916/

小学校から野球を始めて、最初は外野手。ボールが怖くてへたくそだったなあ。試合も、たまに出られるくらい。上級生になって、試合には出られるようになったけど。

地域のチームで野球を続けたけど、中学はソフトテニス部に。野球チームの先輩が中学の野球部にいて、そこでも一緒は嫌だったので。当時はバレーボールが好きで、ネットがあるのはどこだろうって、テニスだった。ネットつながりで。

テニスで高校の推薦をもらったので、高校ではテニスをするつもりだった。うちは母しかいなくて、お金とかの関係でだめになっちゃった。その時に荒川商の野球部に入らないかという話が来た。

中学の時、テニスコートに転がってきた野球のボールを投げ返したら、当時の荒川商の監督の目に留まった。その監督は有望な野球部員を探してたみたいで。

野球部に入っても練習用ユニホームやスパイクを買うお金がなくて、母が指輪を質に入れて工面してくれた。野球で結果を出すと喜んでもらえた。だから、やめられないという思いがあった。親孝行のために当時は野球をやっていた、との思いが強かった。

3年間練習をして、投手としての自信がついていた。強いチームとやっても三振を取れたし、打たれるイメージがほとんどなかった。ちゃんと投げた球で打たれたことはほとんどなかった。

練習では、走る、足腰を鍛える、低めに投げることを徹底した。砂場に縦に穴を掘って、コーチに入ってもらう。穴から見えるミットにボールを投げる練習をした。それで低めに伸びのある球を投げられるようになった。

ただ高3の夏の直前で腰を痛めて、最後はボロボロだった。なんでだろう、なんでこうなんだって思っていた。思い切りバットを振ると、その後は走れないくらい。今になって、そんな中でよくやったなあ。

最後の夏は本当に必死だった。よく思い出すのは、後輩に「必ず勝つから」って何度も言っていたこと。有言実行という気持ちで。それまでの自分だったら、そうなるかわからないことは言わなかった。この時ばかりは、チームのメンバーと勝ちたかった。

2回勝って、当たったのは国士舘。強いか弱いかもわからず、同じ高校生でできないことはないと思ってたけど、試合をしてすぐに「勝てないな」って。とにかく打球がライナーばかり。「びゅん」と伸びてた。

試合に負けた時、心の底から相手に「勝ち進んで欲しい」って思った。本気で戦って負けた時、「がんばってね」とか相手チームによく言うじゃないですか。その気持ちがずっとわからなかったけど、3年生の最後の時に、その気持ちがようやくわかった。

実は国士舘に敗れた時は、これが最後の試合かわかっていなかった。「次勝とうぜ」って言ったら、チームメートに「ない」って。これで終わりなんだ。本当にもう野球が終わりなんだな、練習もないんだなって気づいた。

「やりたくないなぁ」と思って野球をやってきたのが、いざ終わりになると、寂しいんだなあと。高校を卒業して2年ぐらい、やる気が起こらなくて、ずっとだらだらしていた。それぐらい、本当に野球で燃え尽きた感じだった。

芸能界で活躍できるようになったきっかけは、(芸能界の先輩の)伊集院光さんの野球チームに入ったこと。「売れそうな気がする」とラジオで言ってもらい、それから番組にも出させてもらうようになっていった。野球のつながりがあったからこそ今がある。高校野球で勝った負けたはありますが、野球は人生につながりをもたせてくれる。

球児のみなさんにはとにかく一生懸命やって欲しい。そうやるからこそ、見ている人の心に火をともすことができる。負けたり、くじけたりすることもあるけれど、落ち込むことはない。高校野球はあくまで部活。その後の人生のほうが長いのだから。

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