【インタビュー】大阪桐蔭 西谷監督が根尾・藤原・柿木・横川の4人との思い出を語る

大阪桐蔭 西谷監督が根尾・藤原・柿木・横川の4人との思い出を語る

デイリースポーツが2019年1月、大阪桐蔭の西谷監督のインタビュー記事を掲載した。プロ入りする根尾昂・藤原恭大・柿木蓮・横川凱の4選手について、それぞれの思い出を語っている。以下、記事を抜粋・引用する。

根尾昂について語る

 -根尾の入学時の印象は。

 「今までたくさんの高校生を見てきましたけど、根尾は意識が飛び抜けているというか、ここまで芯が強い子はいませんでしたね」

 -芯が強いとは。

 「ぶれないですね。例えば、周囲がサボっていようが、やっていようが、変わらないです。みんな目標に向かってやりますけど、体調が悪いとかで、ぶれる時があるじゃないですか。大人でも。根尾はそれがない。『うまくなるには何をすべきか』という感じで。向上心という言葉でいうと軽いような。好奇心もあるし、どっちが大人か子供かっていつも思います。話をしていると、こちらが『ああ、そうか』ってなりますから(笑)」

 (続けて)

 「意識は高校生ではありませんね。甲子園で取材を受けたから勘違いするとか、1%もありません。ドラフト後も必死でしたよ。先日も8時半集合でしたけど、7時過ぎに来て1人で練習してました。『今日は取材を受けるので、昼に上がらせてもらうので先にやってます』って」

 -二刀流で注目された根尾の育成方針は。

 「投手ばかり…という形にさせたくなかったんです。根尾が投手だけでプロを目指すならば、やり方は変えられていたと思います。それなら高校レベルで言うと、もっとよくなった可能性はあったと思います。でも、僕の頭のどこかに、中田(日本ハム)を2年春に肘をケガさせてしまったことが、すごく残っているんです」

 -頭に残っていることとは。

 「中田は体が立派で、投球フォームも柔らかったし、僕は投手でプロに行かせたかったんです。ウサギとカメで言ったら、辻内(元巨人)のようなカメの選手を鍛えて、150キロを出せるようにはできたけど、中田なんて完全にウサギの選手でした。1年冬に付きっ切りでやったら、2年の春は151キロぐらいを出して。スピードガンの数字だけではなく、『うわー、すごいなあ』と思いましたもん。松坂投手(中日)ぐらいになるんじゃないかと思っていました」

 (続けて)

 「でも、2年春にケガしてからは、元通りにはなりませんでした。球速が出ていても僕らからしたら全然で。中田のボールではなかったし、本人も首をひねってばかりで。だから、根尾を下級生からたくさん投げさせることは引っかかっていました。頭のどこかに中田のことがあって。根尾を最初から『投手、投手』としてしまったら、故障した時に将来が…というのがありましたね」

 -1年時の根尾の練習の比重は。

 「8割ぐらい野手でした。根尾は『投げたい投げたい』というのがあるんです。『昨日しっくりこなかったので、もう少し投げたいです』と言ってきても、ブレーキを掛けていました。理由を話すと分かってくれるので。そういう話をしたし、できる子でした」

 -ポジションの希望はあったのか。

 「『プロでは内野』って言っていました。でも、ドラフト前に『(マスコミに)内野と言っていいんですか?』という相談は受けました。二刀流と報道してくれているのに、『野手希望』って言ったら否定しているようで、言ったらいけないのかなと考えていたみたいです(笑)」

 -思い出は。

 「いろんな場面がありすぎて…。長かったですね。もう少しで卒業して、お別れと思うと寂しいです。心配はありますけど、どんなところでもぶれないと思います」

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藤原恭大について語る

 -入学時の藤原を見た印象は。

 「年々速くなっているんですけど、足は中学生の時から本当にすごくて、パワーもありました。不器用なところもあるので、タイミングの取り方とか課題はありましたが、身体能力で言うとかなり高いです。足の速さは今まで(の選手で)一番ですね」

 -印象的な場面は。

 「僕が初めて藤原の試合を見たのが、(中学の)枚方ボーイズの試合でした。ちょっと詰まった二塁正面のゴロで、楽々アウトかと思って見ていたら、セーフになりかけました。『えぇ!?』ってなりましたね。同じチームの(報徳学園)小園くんも速かったけど、藤原はもう1つ速かった。足が速い子って案外、パワーがない選手もいるじゃないですか。藤原のように両方ある子ってなかなかいませんね」

 -根尾もスピードはある。

 「藤原の方が速いです。根尾は50m6秒ジャスト、藤原5秒7なんぼで行く。5秒8は切りますね。二塁なんかもっと速いですよ」

 -パワーもある。藤原は飛距離の話題になると、「引っ張ったら僕で、逆方向は根尾の方が飛ばします」と言っていた。

 「あいつら、そんなんばっかでしょ(笑)。確かに根尾は逆方向が伸びますね。藤原はグラウンドの右翼後方のネットを余裕で越えますね」

 -西谷監督は藤原に「打率8割は打て」と伝えていた。

 「森(西武)にはいつも10割打てと言っていましたよ(笑)。ボールを捉える力は、森が今までで一番でしたね。(藤原は)プロに行きたいなら8割ぐらい打てよ、ということですね」

 -打力も足もある藤原のすごさとは。

 「長所はすごく練習するところですね。逆に言うと、まだ不器用なところがあるので、なかなか掴めない、掴みにくいところも持っています」

 -センスの塊のように見える。

 「ある意味、僕らもそう思っていましたけど、天才的なものを持っているというより、彼は努力ですよ。全然やんちゃじゃないですし、練習はめちゃくちゃします。足はすごいですけど、それ以外は自分で作りあげてきたものだと思います。枚方ボーイズの練習を見に行けば行くほど、自分で作っていった子なんだなと思いましたから。本当にすごく練習する子です」

 -思い出は。

 「長く野球をした感じがしますね。藤原はずっと試合に出ていたんで。あの試合で本塁打を打ったとか、思い出はいっぱいあります。でも、毎日グラウンドで練習したり、夜に寮でバット振ったり。彼とはそういう練習しているイメージが残っていますね」

 -本人はトリプルスリー達成を目標に掲げている。

 「いやいや、そんな簡単にはいかんでしょう。でも、ただ足が速いだけの選手だけではなく、打てる外野手になって欲しいと思いますね。守りも含めて全部できる打者になって欲しいです」

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柿木蓮について語る

 -中学時代の柿木の印象は。

 「上半身投げでしたが、ボールに圧があって。スピードボールは魅力に感じました。何よりも『とにかく大阪桐蔭でやりたい。とにかくプロに行きたい』と、その時に明確に言っていました。志の高い子と一緒にやりたいなと思いましたね」

 -佐賀から出て来た時の印象?

 「ガキ大将的な性格で、やんちゃなのかなと思うけど、すごく優しくて。ああ見えて気配りができる子です。最初に会った時の印象とは違いましたね」

 -高校での成長は。

 「3年間でこういう風にしたいな、という絵を描いたなら、そういう感じにいきました。投手で言うと、横川、根尾がライバルでしたが、最後の根尾に対するライバル心はすごかったですね。根尾は俗に言う二刀流でしたし、自分は投手だけで負けられない思いはあったと思います。僕も『野手もやってる選手に負けんのか』って言って根尾で釣って。そうすると、がーっと行くので」

 -柿木への叱咤激励は他の選手とは違っていたように感じる。

 「いやー、厳しくやりましたよ(笑)。彼はハートの強さがありますし、褒めたことはないですね。何も教えないので、『自分は何も見てもらえない』と思っていると思います。(3年時の)センバツ後に『自分は投げられなかった』みたいなことを言っていたので、『そら根尾やろう。このままやったら、夏は背番号1は根尾でいくよ』と話しました。でも、しっかりしているし、向上心もある子なので。センバツの後(の春季大阪大会)も、まさかメンバーも外されるとは、思ってなかったでしょうし。1からやろうとしたんですが、あれが結果的によかったと思います」

 -思い出は。

 「仙台育英戦(※)ですね。僕もまさか柿木が最後まで投げるとは思っていませんでした。五回まで行ってくれたら御の字だったのが、五回どころか代える場面がなかったので。最後は酷な場面でしたし、あそこで負けたことは痛かったですけど、柿木と中川は勉強になったと思います。柿木はあれからエースとしての自覚が出たし、あの試合があったから(今がある)ということだと思います」

 -3年夏の甲子園決勝前は、西谷監督に先発を直訴した。

 「あれはああやって言ったら、投げさせてもらえるという受け売りでしょう(笑)。たまにいますよ。でも、『それは俺が決める』って言いますけど(笑)。決勝は根尾を(先発で)投げさせるつもりだったんですが、準々決勝の浦和学院戦で、マメがつぶれて。本当は準決勝の先発は柿木、決勝の先発は根尾で、決勝の最後は柿木と思っていました」

 -プロでの期待は。

 「先発もできるし、リリーフとしても魅力的だと思います。ゲームを作る能力がありますし、球も強いですから。リリーフなら(OBの)オリックスの沢田みたいにグッといくタイプになれると思いますよ」

 ※…17年夏の甲子園3回戦。大阪桐蔭は仙台育英と対戦し、先発・柿木が九回まで1点リードを守ったが、一塁・中川がベースを踏み損ねるなど不運もあり、逆転サヨナラ負けを喫した。

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横川凱について語る

 -横川は中学時代にかなり高い評価だったと聞いた。

 「中学のポテンシャルで言うと、うちでエースになっておかないといけないですね。身長が190センチありますからね。みんな育てたい選手ですけど、その中でも育てたい左投手でした。なかなかいる素材じゃないので。(OBの阪神)藤浪じゃないですけど。まして、左なので」

 -甲子園では結果を残せなかった。3年間での成長は。

 「まだ殻を破れていないですね。大きなくくりで言うと、ずっと成長しているんですけど、僕らの期待が高いので。いい加減とかは全くないし、勉強もできる。ただ、マイペースなので。柿木と好対照です。柿木には『おらー』っていけるけど、横川は『(練習で)投げるか?』と聞くと、『いや、ちょっと…。また明日』みたいな。『投げへんのかい!』って。大成したら投手として、いい性格なんでしょうけどね」

 -横川が2年夏の甲子園前に、練習の姿勢を見て怒鳴った時があった。

 「よくありますよ。なかなか、力が出し切れないところがあったので。練習は本当に付きっ切りでよくやりました。僕らからしたら、歯がゆい時間が長かったですね。もっともっと、できる子なので。17年のセンバツで静岡戦(※1)がありましたけど、あんな大切な試合で(2年だった)横川を先発させているんですから。(3年生エースの)徳山の次に先発させているわけでしょう?その時点で言えば、この学年で柿木ではなく、横川で行っている。こちらとしてはそういう期待も込めた状況でした」

 -高校では不完全燃焼だったが、進路はプロに絞った。

 「うちに来てプロへ行きたい、とずっと言っていましたが、(18年の)センバツ後に進路を考えようと言った時でした。半ばふてくされたような感じで『大学や社会人で…』みたいに言ったので、めちゃくちゃ怒った記憶があります」

 -本人に迷いがあったのか。

 「『自分の中で大学や社会人に行って、プロに入るって描けてないやろ?今のまま志望届けを出したら結果も出ていないのに…って言われるのが嫌で、じゃあ大学ってことやろ?』と聞くと『はい』って。『失礼なことを言うな!そんなんだったら、大学も社会人もやめとけ!本当にプロ行きたいなら勝負しろ』って言いました」

 -いったんはプロを諦めかけたのか。

 「ご両親も交えて何度も話をして、最後にもう一回ちゃんと話をしようと言ったら『どんなことがあってもプロで挑戦したい』って言うので。『それがダメだったらダメで、俺が次のことは考える』と伝えたんです。(誘いを受けていた)大学も断って。そこらで覚悟は決まったんじゃないですかね」

 -そこで吹っ切れた?

 「プロに挑戦したい気持ちがあるのに、それに嘘をついて大学って言い出した時に比べれば。夏が終わってから状態はいいですよ。国体もよかったですし。遅いですね(笑)」

 -プロでの期待は。

 「内面の強さは持っているんですが、時間はかかるかもしれません。まして、巨人ですから。でも、藤浪じゃないけど身長が大きい分、これからだと思います。大器晩成であってほしいですね」

 ※17年センバツ2回戦。大阪桐蔭は静岡と対戦し、先発・横川は1/3回5失点で降板。

▷西谷監督・ラジオで語る(前編)
▷西谷監督・ラジオで語る(後編)
▷西谷監督・選手名鑑をボロボロになるまで読む理由