【注目投手】春日部共栄 村田賢一 最速146キロ「お前がエースで4番だ」|センバツ注目選手

春日部共栄 村田賢一、最速146キロ「お前がエースで4番だ」

▷春日部共栄ベンチ入りメンバー

強いぞ、春日部共栄。花咲徳栄、浦和学院などがひしめく・激戦区 埼玉県において、
秋季県大会を制し、進んだ関東大会では準優勝。19年春のセンバツ出場出場が当確に。

チームの柱は、エースで4番の村田賢一(2年生)だ。最速146キロを誇る。

村田はこれまで、度重なるケガなどにより、公式戦での登板は昨秋の1試合のみだった。
18年夏の北埼玉大会ではベンチ入りができず、秋に向けて備えてきた。

それでも、新チーム発足以前からチームの中心になることは決まっていたという。

本多監督は、「6月から心の準備をさせるため『お前がエースで4番だ』と言い続けた」と語る。

村田は、その期待に応えるかのように、秋季埼玉県大会では全試合完投。関東大会でも準決勝の山梨学院(山梨2位)戦まで1人で投げ抜いた。

打撃面でもチームの柱だ。4番を任された男は、関東大会の横浜戦で、2019年のドラフト候補である横浜・及川雅貴から本塁打を放つなど15打数4安打5打点の活躍を魅せた。

※横浜戦では自己最速を1キロ更新する146キロの直球などで7三振を奪う好投。

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監督から「ガラスのエースか」と言われ反骨心

本多利治監督は、村田について、

「気持ちが強くなった。故障があって夏はベンチに入れずに秋に備えさせたんです。でも地区予選で肩が痛いと言ってきて。『ガラスのエースか』って言ったら反骨心が出た。もうガラスのエースとは言いません」

とコメントした。

秋季埼玉大会の決勝戦のマウンド、自ら志願

エース村田は、秋季埼玉県大会の初戦の2回戦から準決勝までの4試合を1度の救援もなく投げ抜いた。準々決勝と準決勝が公式戦初の連投となり、この2試合で計296球も放っていたが、

本多監督は、「(村田は)準決勝の前より体が楽で、投げさせてほしいと志願してきた」と決勝戦でもエースに託し見事に激戦区埼玉大会で優勝。

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小さなころから「エース」として育てられた村田

父によると、小学生の頃所属した浦安ニューラッキーズでは、当時の監督から「将来性を期待されていた」と1度も犠打のサインが出たことはなかったという。

投手としてマウンドに立てば、1試合で20四球与えてた時も続投。

「“エースで4番”になるべく育てられた」という。

小学6年時にはジャイアンツジュニアに選出された。

中学時代は「ぶーちゃん」と呼ばれ

村田は、江戸川南シニアで松坂大輔らを指導した大枝茂明氏が指揮を執る、東京城南ボーイズに所属した。

入学時は、身長165センチにして体重68キロ。

「ぶーちゃん」と呼ばれ、当初は、野手登録だった。

本格的に投手を始めたのは中学2年。

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センバツでは注目投手に

「まだまだ打てないし、投げられない。変化球も何もかも相手が2枚も3枚も上でした。
自分は下半身が安定していないし、まず体が負けている。

今回で(自分が)何を投げるか分かったと思うから、キレを良くしてストレートだと分かっていても当てられないような球を投げたい。150キロが目標」

強い共栄を取り戻そう、新チームのスローガンに

新チーム結成時に指揮官が掲げたスローガンは、

『強い共栄を取り戻そう——』だった。

春季大会は1回戦で春日部東に負け。そして、夏の北埼玉大会でも初戦で昌平に負けた。
本多監督は、秋からのチーム作りについてこう語る。

「最近は選手の気質がどんどん変わってきた。自分の指導は現代っ子に合ったものなのかを考え、選手との会話を多くすることを心掛け、個性をつぶさないことにも気を配りました。」

夏の初戦敗退で例年以上に早く新チームが始動したこともあり、投打に充実した仕上がりを見せている。

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村田賢一(むらた・けんいち)のプロフィール・出身

2001年8月31日生まれ
静岡県三島市出身
小学2年の時、浦安ニューラッキーズで野球を開始
小学6年でジャイアンツジュニアに選出
中学は東京城南ボーイズに所属
ストレート最速は146キロ
持ち球は直球、カーブ、スライダー、スプリット
身長182センチ72キロ

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